「偉い」と自分でうぬぼれる人は、中身の薄い人である
世の中には「自分は偉いんだ」と言わんばかりに振る舞う人がいる。肩書きを並べたり、知識をひけらかしたり、SNSで自分の影響力をことさら強調したりする。そういう人を見かけると、正直ちょっと残念に感じることが多い。なぜなら、本当に中身がある人ほど、そんなことをわざわざ言わないからだ。
特にプログラム開発の業界では、この手の「うぬぼれ」はよく目にする。例えば、初心者に対して「先ず、それが先じゃないの」「そんなことも知らないの?」「その前に〇〇をやってみたら?」といった言葉を投げかける人。もちろんアドバイスのつもりかもしれない。でも、その言い方の裏には「自分は知っているけど、君は知らない」というマウントが透けて見える。ちょっとしたことで知ったかぶりをするのは、周囲から見ればただの自己満足にすぎない。
さらに、そういう人は得てして「有名人と知り合いだ」とか「いくつもの役職を兼務している」とか「自分はインフルエンサーだ」といった肩書きや人脈を誇示する傾向もある。もちろん、それ自体は悪いことじゃない。実際に努力して築いたものなら胸を張っていい。しかし、それをことあるごとに口にしてしまうと、むしろ「中身の薄さ」を際立たせてしまうのだ。
考えてみれば、自分を認めてくれる人の中では「偉い人」でも、そうでない場所に行けば一瞬でその価値は目減りする。どれだけSNSのフォロワーが多くても、リアルな人間関係の場で信頼を得られなければ意味がない。肩書きや知識は「飾り」であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
では、本当に大切なものは何か。それは「謙虚さ」だと思う。人は誰だって知らないことがある。得意不得意がある。だからこそ、相手を見下すのではなく「一緒に学ぼう」「自分もまだまだだ」と思える姿勢が大事になる。実際、尊敬される開発者や経営者ほど、話し方は穏やかで、質問を投げかけられても嫌味なく答えてくれる。そこには余裕がある。知識を誇示する必要がないからだ。
逆に「自分は偉い」とアピールする人ほど、心のどこかに不安があるのかもしれない。「自分は大したことないのでは」という恐れを隠すために、肩書きや知識を盾にしている。そう考えると、少し哀れにも見えてくる。
ブログを読んでくださっている皆さんも、もしかすると職場やオンラインでそういう人に出会ったことがあるかもしれない。そのときにイライラしたり、落ち込んだりする必要はない。「ああ、この人は自分を守るためにそうしているんだな」と思えば、むしろ冷静に距離を取れるはずだ。
そして、自分自身も気をつけたいものだ。人は誰しも「認められたい」という気持ちを持っている。だからつい知っていることをひけらかしたくなる瞬間がある。でも、そのときこそ一歩立ち止まりたい。「これは相手のためになる言葉か」「自分を大きく見せたいだけではないか」と問いかけることが大事だ。
結局のところ、本当に価値ある人は「偉い」と自分で言わなくても、自然と周囲から尊敬される。逆に自分で「偉い」と言い出す人は、その時点で尊敬を失ってしまう。皮肉なことだけれど、それが現実だ。
だからこそ、肩書きや知識に酔わず、いつでも謙虚に物事に接すること。これが人としても、開発者としても成長し続ける一番の秘訣ではないだろうか。

